たくさんあった本のなかからパッと目に入った『VOICE of PHOTOGRAPHY』を手に取ってみた。
ページをめくっていくと目に飛び込んでくるのは、読めない言語と魅力的かつ衝撃を与えてくる多種多様な写真たち。
それらの中でも「まるで人がゴミのようだ!」という某有名アニメーション映画のセリフが頭をよぎるような、人が敷き詰められたなんともいえない不可解な不安を漂わせた写真が印象に残っている。
その写真はどこか不気味さを感じさせながらも現代アートのような魅力を兼ね備えており、世界に対するある種の疑問や不安を想起させる。
VOICE of PHOTOGRAPHY
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一方、不安を感じる写真から一転して、海や森、畑や人々を写した当たり前すぎて見逃してしまうような日常を優しく掬い上げたモノクロ写真たち。
この日常写真は何を意図して撮ったかな、はたまた記録として撮られたかな、と読めない言語を横目に想像しながらページをめくっていく。
そうして時々Google翻訳をかけて読み進めていくと
「子どもの頃の思い出は人生の土台」
という文章の一部分が浮かび上がった。この言葉を目にしたとき、大学で取り組んだ“ラディカルなグラフィックデザイン”という課題を思い出した。
ラディカル:根源的な、という意味の通りに自分のラディカルについて思考を巡らせた課題で、グラフィックデザインを苦手としている私にとっては胃痛の原因となった…。
もしも、この本を課題へ取り組む前に読んでいれば、ラディカル=子どもの頃の思い出は人生の土台、という思考につなげることができたのになあ。少し悔しい…。
ともあれ、写真だけでなく「子どもの頃の思い出は人生の土台」といったような言葉からも『VOICE of PHOTOGRAPHY』の魅力を感じる。
そして、これまで“読めない言語”と記述してきたが、この本は中文で書かれているため、漢字に馴染みのある日本人ならば、漢字の意味をつなげるとなんとなくのニュアンスを想像することはできるだろう。
そうして想像した言葉をまるで答え合わせをするかのように、再度翻訳をかけて読み解いていき、撮影の意図を知ることもアジア本を読む楽しさのひとつなのだと思う。
『VOICE of PHOTOGRAPHY』を手に取った理由は単純明快に表紙がかっこいいから、趣味で写真を撮っているから、と特に深い意味のないインスピレーションであったが、たとえ言語を理解することができなくても、これらの写真は強い視覚的影響をもたらし、見る人に刺激を与えることにつながるのかも…?
ぜひとも、実際にアジア本を手に取って体験していただきたい!
大原
東アジア本の楽しみ方